2011/01/15(土) 07:00:09
[霞ヶ関・天下り問題] 霞ヶ関に屈服した菅内閣<3>
民主党は「政治主導」の本当の意味が分かっていない――古賀さんが直接、体験した「政治主導」の例について教えてください。
「通産省の産業組織政策室長だった94年頃のことです。持ち株会社を禁止する『独禁法第9条』の改正という大仕事に挑戦しました。
当時、持ち株会社を禁じているのは、世界中で日本と韓国くらいでしたが、戦後、GHQが『財閥解体』のために制定したこともあって、9条の改正はタブー視されていました。
省内でも誰ひとり手をつける者がいない。出来るはずがないだろう、という空気でした。研究会を立ち上げることさえ一苦労です。誰も委員になってくれない。名だたる学者はことごとく拒否された。大新聞も軒並み、社説で『財閥が復活する』と反対。自分自身、とんでもないことを始めてしまったと思ったものです。
ところが、自社さ政権の通産大臣だった橋本龍太郎さんが決断したのです。
国会答弁のレクチャーでご説明しました。与えられた時間は数分。うなずきながら話を聞いて、『分かった。大事だな』と一言。その後、国会答弁で『(持ち株会社解禁について)積極的な検討をさせていただきたい』と答えたのです。おそらく、橋本さんは自分でも勉強したのだと思います。これがキッカケとなり、97年には橋本内閣によって独禁法が改正されています。
これこそ『政治主導』でしょう。役人が理論武装して、選択肢として挙げた政策を、政治家が必要だと判断したら強い反対があっても断行する」
――橋本内閣の頃、通産省は改革の旗振り役でした。
「橋本さんが通産大臣から総理になった頃、通産省も改革派が主流で、私もその一員でした。ところが、橋本さんのあとの自民党政権が再びバラマキ路線に振れると通産省もそっちに乗ってしまった。小泉さんが再び構造改革路線に転換したけど、経産省はもう切り替えられなかった。そこが経産省の改革が止まってしまった最大の転換期なのです」(つづく)
[インタビュアー] ジャーナリスト・BS11キャスター 鈴木哲夫
※古賀茂明 1955年生まれ。麻生高、東大法卒。80年に通産省入省。事務次官の登竜門とされる大臣官房課を経て、産業組織課長など中枢を歩む。前公務員改革事務局審議官。現在は大臣官房付。
【改革官僚が語る~霞ヶ関に屈服した菅内閣】より
(日刊ゲンダイ 2010/12/22 掲載)
バブル景気に思いっきり”急ブレーキ”をかけた橋本龍太郎は評価しないけれど、そんなことがあったのか。全6回です。
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2011.01.16 | URL | unimaro #SFo5/nok [ 編集 ]
2011.01.15 | URL | kuro #aYDccP8M [ 編集 ]
2011.01.15 | URL | 半造 #FXbBe/Mw [ 編集 ]